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Fisher's Column

vol.8 レインボーその壁に立ち向かって/巌 流石[2012.12]

私はある時、ふと「北海道の本流でダブルハンドロッドを使いウェットフライをダウンクロスに流してネイティブな60レインボーを釣る」という目標を掲げた。
しつこいようだが、これは本州の川ではなく、シングルハンドロッドを使うということでもなく、ドライフライでもなく、アップにフライを投げるのでもなく、養殖レインボーでもなく、60cm未満の魚でもないという非常に限定的に考えた目標である。いくら北海道といえども60レインボーがそう簡単に釣れることはないと思っていたが、2年も通えば釣れるだろうと漠然と考えていた。紆余曲折を経て奥田氏と知り合い、その目標を達成しようということになった。
パワーウェットの黎明期からダブルハンドの釣りをしていた私は、九頭竜川のサクラマス、カナダのスティールヘッド、スコットランド、カナダ東海岸のアトランティックサーモンを釣っており、かなりの経験値は持っていた。だから2年も通えば釣れるだろうと考えていたのだ。しかし、全然釣れない。60レインボーが釣れないどころか30cmのレインボーも満足に釣れない。本州の犀川で釣れば、30、40cmのレインボーなら難なく釣れてくる。過去の経験からすると、フライや流し方に問題はないはずだから、これほど釣れないと北海道の本流にいるレインボーの数は極端に少ないのではないだろうかと疑い始めた。

3年目も全く釣れなかった。帰りの飛行機の中で、この釣りは成立しないのではないだろうか、諦めたほうが良いのではないだろうかという考えが脳裡をかすめた。しかし初志貫徹、必ず釣らなければと思うのだが、とても釣れそうな気はしなかった。ただ奥田氏が時々私の後ろでレインボーを釣るのでまだ技術的に改良する余地は残っていると考え、レベルアップを図る方法を奥田氏と相談した。結論は一旦レインボーから離れて他の魚種を釣ることとなった。忠類川のチャムで口を使わない魚の釣り方を、ノボリアメマスでタナの重要性とリトリーブでの食わせ方を、イトウで大物とのやり取りを、本州の渓流の岩魚で就餌点と定位置をそれぞれ学んだ。またフライタイイングに沈潜しキャスティングの練習に没頭した。

レインボー

そして4年目を迎えたが、やはり釣れなかった。こうなるとさすがに私はもっていない釣師ではなかろうかと思い始めた。もってないならそれはそれで仕方がないのでまぐれで釣れるのを待って、そしてこの釣りを止めようと考えた。
北海道で私が釣れない理由はもう一つあった。それは強烈な雨男である、ということだ(ただし北海道以外では晴れ男である)。天気予報が雨なら大雨、曇りなら当然雨、晴れでも釣り場は大雨と全く釣りにならないことが多いのである。それも到着した夜から雨になり朝には川が濁流で3日間釣りが出来ないことがよくあった。
一度こんなことがあった。土曜日の最終便で千歳に入った。その日の天気予報は晴れで着いたときは晴れていた。それから食事に出かけ1時間ほどして出てきたら雨なのである。このときほど自分が雨男であることを痛感したことはなかった。

釣ったことのない魚を釣る場合、過去の経験からこのフライ、この流し方、このタックルシステムで釣れるはずだ、釣れるに違いないと確信するが、釣った事がない以上その確信は「根拠のない確信」である。その魚を釣り上げてはじめてその確信は根拠を持ち、「根拠のある確信」となる。
釣った瞬間に「根拠のない確信」が「根拠のある確信」へとクルッと変わる。まるでオセロゲームの駒が黒から白にクルッと変わるように。そしてオセロゲームで一瞬にして多くの黒が白に変換されることがあるように、「根拠のある確信」を持った経験豊富なベテラン釣師が次々と魚を釣り上げる。そんなことを経験したり、目の当たりにしたりしたことはないだろうか。
ではビギナーズラックで釣った人がその後次々と魚を釣り上げることがないのはなぜだろうか?ビギナーには経験がない。ということはこうやったら釣れるかもしれない、釣れるはずだという確信は全くない。だからたまたま釣れてしまってもそれは「根拠のある確信」には当然変化しない。これがその理由だろう。

レインボー

5年目もやはり最初は釣れなかった。しかし4年目の途中から40レインボーはたまに釣れてはいた。だからと言って60レインボーに近づいている感覚は全くなかった。5年目最終釣行の1回前の釣行で、同じフライ同じようなタックルシステムで奥田氏と釣っていて、私の後ろで奥田氏に65cmの見事なレインボーを釣り上げられてしまった。このときは本当に凹んでしまった。もってない、本当にもってない釣師だと情けない気分になった。普通なら落ち込んで自棄になるところだが、妙なことにこのときは凹みながらも、これは私にも釣れる、間違いなく釣れると確信めいたものが心に湧いてきた。無論、根拠はない。
5年目最後の釣行は10年来の大寒波で11月初旬だというのに吹雪になった。また最悪の天気だなと思ったが、雪は川の水位を上げないし、川を濁らしもしない。釣りは成立する。雨でなく吹雪でラッキーであった。目的地に到着すると、川はベストの状態であった。釣れると確信しながら釣り始めると、あっさりと一流し目で52cmのレインボーが釣れた。今まで全く釣れなかったのが不思議なほど。極秘のフライを使ったわけでも、マル秘のラインシステムを使ったわけでもないが、前回と立ち位置、流れに対するラインの角度、ロッドティップの位置を微妙に変えてはいた。このとき「根拠のない確信」は「根拠のある確信」に瞬時に変換した。釣れる。絶対にこの釣り方で釣れる。絶対的な確信は信念に昇華した。二流し目で55cmのレインボーが釣れた。三流し目で遂に来た。フッキングの瞬間明らかに今までの魚と重量感が違う。間違いなく60レインボーだと悟った。次の瞬間、狂ったように走り出し120mほどラインを引き出した。後はバレないでくれとひたすら祈りながらファイトしランディングに成功した。イクラを飽食し丸々と太った60レインボーが私の足元に横たわった。
6年目 62cm, 60cm
7年目 70cm, 68cm, 65cm, 60cm そして50レインボーの数を数えるのを止めた。

レインボー

初めての魚種を釣るとき、釣り師は過去の経験から釣り方を組み立て、ある確信めいたものをもって挑む。しかしまだ釣っていないのだからそれには根拠がない。釣る瞬間までは「根拠のない確信」でしかない。釣った事のある魚種でも川が異なればフライの色大きさが変わりラインシステムも当然変わる。だから初めての川に挑むときもやはり過去の経験から導かれた「根拠のない確信」を頼りに釣り始める。もっと突き詰めれば、昨日釣った同じ川同じポイントでも昨日とは気温水温気圧水位が微妙に異なり、過去の経験を頼りにしか釣りはできない。釣ってはじめて「根拠のある確信」に変わる。そしてそれが経験となり未来の釣りへ繋がっていく。日々の釣りは「根拠のない確信」を「根拠のある確信」へ変える過程にある。そして変換できた瞬間一気に目の前が開け、魚が釣れ始める。オセロゲームで一つの駒によって一瞬に多くの黒が白に変換されるあの感覚だ。
「根拠のない確信」を「根拠のある確信」へと変換していく。しかし、そこには実体の変化はない。精神面の変化において釣果が変わる。釣りはいわば精神のオセロゲームである。
余談ではあるが、今でも私は雨男である。しかし最近は気にならなくなってきた。北海道のレインボーが私を畏れて雨を降らせている、少々条件が悪いほうが対等に戦える、と、うそぶいている。

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